エシカルリトリート⭐︎学びの意味
エシカルな学びがリトリートで役立つのか?を改めて考えています。
多くの人が自分を知りたくて、迷ったり悩んだりしている。自分とはこういうものだと、一足飛びに理解できたら苦労はしないけれど、そう簡単にはいかない。なぜなら、思考は固定観念の影響を受けるし、感覚は鈍っていることもある上に、成熟さが伴わなければ一瞬の心地よさを追い求めてしまうから。
自分を正しく捉えるためには、客観的に自分を見つめる思考力と、研ぎ澄まされた感覚が必要。それらの足がかりになるのが学び。
自分の考えというものは、多くの場合何かしらの影響を受けていることを理解し、だからこそ学ぼうとする姿勢が必要になってくる。
自分を知るというと、ただひたすらに自分と向き合うことをイメージするかもしれない。自分の内側に集中できる落ち着きはとても大事。加えて、自分がどんな社会や環境におかれているのか、なぜ自分がそう考えたり感じるようになったのか、理由の多くは社会や環境にも関係しているので、そこを理解しておかないと全体が見えなくなってしまう。
自己理解のために、社会・環境の理解は必要なステップ。
私という存在は、社会や環境の一部でそれらに影響されていて、同時に自ら社会や環境を作り出す力も持っている。相互に関係していることを理解すること、それが自己理解をもう一段深めることにつながるんじゃないかな。
