本当に嫌な人というのはいない
どんなに嫌だなあと思ったとしても
本当に嫌な人というのはいない。
単なる好き・嫌いという好みの話ではなく
身の回りの人に対して
社会に対して
地球を取り巻く色々なことに対して
視野が広くなるほど
見えてくる違和感もあるし
言いたくなることも出てくると思う。
けれど、そこで正論を振りかざしたとて
伝わらないこともあるし
聞いてもらうことさえ叶わなかったりする。
最近確かにそうだなと実感しているのは
どの人もその人なりの人生経験の中で
成長段階にいるだけであって
人の成熟度は年齢とは関係ないということ。
中学生で既に達観しているような人もいれば
大人でも自分の考えの上乗せに振り回される人もいる。
その人はその人の幸せに夢中なだけ。
そうした人を前にしたときに
伝わらないなら言うのを止めよう
関わるのを止めようではなく
相手の成熟度に応じて
どういうタイミングで
どんな風に伝えたらいいのか?
どういうしくみになるといいのか
そのために自分に何ができるのか?
その人との関わりによって
自分が成長するタイミングなのだと捉えて
努力するしかないなと思う。
いったん関わるのを止める
というのも一つの選択肢ではあるし
状況によっては
距離を置いた方が良いことももちろんある。
ただ、自分の成長課題がそこにあるなら
相手や環境を変えたとしても同じ課題が待っている。
嫌だなと思うことには
好きなことだけでは出来ない成長が待っている。
これ、とっても大事だと思う。
好きなことや楽しいことはきっかけになるし
勢いもつくのだけれど
人生はそれだけではないから。
人間としての成長、成熟というのは
嫌なことも含めて
自分の課題を発見して解決していくこと。
ちなみに課題と聞くと
悪いことや、あってはいけないものだと
捉える人もいるようなのだけど
課題がわかるって、実はとてもありがたいこと。
何をしたらいいのか
どこに手を入れたら良くなっていくのか
そのヒントが課題。
自分が人生で取り組むべき重要なことが課題。
その課題をいかに見つけてクリアしていくか
ゲームみたいなものと捉えたらどうだろう。
ゲームで何も課題が与えられなかったら
多くの人はゲームしないんじゃないかな。
何にせよ、こうした経験を繰り返していくと
いつしか自然と、嫌なこととか、嫌な人というのは
いなくなるのだろうな。
まだまだ成長が続きます。