『出来ないからやらない』のではなく『やらないから出来ない』

Tiffany diamond


自戒の意味も込めて最近の気づきを。


多くの人が伝えていることですが

出来ないことがあった際に

「出来ないからやりたくない」と言っていては

永遠に出来る日は来ません。


「出来ないからこそやる」という選択をし

とにかくやっていくしかありませんよね。


例えば文章を書いてまとめるという作業は

まさにこの構図に当てはまります。


他の人が「出来ないからやらない」

という状況に陥っていたら

「とにかくやるしかないよ!」

と簡単に言えるけれど


いざ自分が壁にぶつかったら

「苦手だし時間がかかるしもう嫌だ!」

となってしまうこともあるかもしれません。


私は学生時代、とにかく論文が書けなくて

当時の先生や先輩方を相当困らせていたので

「書けないものは書けないよ・・」

と自分に対して悲観的になる気持ち

とてもわかります。


何度も同じことを注意され

今なら愛ある助言なのだと受け止められるけれど

当時は難しかったですね。


「あなたは本当に文章が書けないのですね」と言われ

「やっぱり私は文章が書けない人間なんだ」

「そんな人間はここにいるべきじゃないんだ」と

自分で自分を洗脳し、悪循環になっていました。


成長を感じられないまま社会人になり

論文とまではいかないけれど

職場やコミュニティなど色々なところで

文章を書く必要に迫られます。


「書いていないことは伝わらない」

「書いたとしても、この書き方では伝わらない」


失敗を何千回、何万回と繰り返してようやく、

文章を書くことが苦痛ではなくなりました。


たまに勘違いを引き起こし

「やってしまった」と反省することもありますが

とにかく文章を書く回数を増やさない限り

上達しないのだとわかってきました。


最近はAIに文章作成させる流れもありますが

自分の考えを伝え指示しない限り

AIも文章を作りようがありません。


とにかく自分の頭の中にあるものを

言葉として出力する。


放っておくと考えは分散して収集がつかないので

何が言いたいのか明確にするためにも

まずは言葉という形で表現する。


何が言いたいのかわからないなら、

何が言いたいのだろう?と書く。


周りにそれを見てくれる人がいるなら

伝えてフィードバックをもらい改善する。

地道にこのサイクルを続けるしかないなと思います。


その改善サイクルを始める際のボトルネックが

スキルではなく、抵抗を作り出している自分自身。

薄々このことに気づいている人も、いるのではないでしょうか。


例えばですが

自分のスキルのなさを露呈するとことへの

恐れや恥ずかしさがあるかもしれません。


その感情の裏には

プライドが隠れていないでしょうか。


プライドが悪いわけではありませんが

それが増長しすぎると、生き辛いです。


プライドが増長すると

私は他の人と比べて優れているとか、

私はこれがあるから大丈夫だと、

何か自分以外のものに頼って

自己尊厳を保とうと必死な状態になります。


他のものに自分の尊厳を頼っているので、

頼っているものが否定されると辛いですね。


○○がない私はダメなんだと、

自分で自分を傷つけます。


とびきり輝くダイヤモンドを手にしていても

誰もが認める成果をあげたとしても

自分ではない何かに頼った自己尊厳は

簡単に傷つきます。


そうならないためには?

増長したプライドという間違った自己観念を正すこと。

自分自身を正しく感じることが大事。


何のスキルも無いと無力に感じるのであれば、

「これからスキルを身につけることが出来る人が私」

「今の私には、今生かすべき能力と役割がある」

と理解することから始まります。


こうして自分自身を正しく感じることが

プライドから自由な、本当の自己尊厳です。


何にも頼る必要のない自己尊厳があるからこそ

出来ないことを恐れるのではなく、

今出来ることに集中し、一歩踏み出すことができます。


もし今壁にぶつかってしまっているなら

その時はチャンスと思えないことが多いけれど

本当の自己尊厳に気付き

自分の可能性が広がる大チャンス。


ダイヤモンドの輝きも、過去の栄光も

輝かせているのは他でも無い自分自身なのだから。