藤原ひろのぶさんお話会☆価値観は人それぞれの意味


先日千葉県の銚子市で

藤原ひろのぶさんのお話会に参加しました。


長谷川ELENAさん主催でひろのぶさんのお話会は

東京、葉山、今回の銚子で3回目。


シリアスになりがちなテーマ

例えばこどもの貧困や

世界で起きている様々な問題について

ユーモアを交えながら

子どもたちにもわかるように話してくださるので

内容はもちろん

伝え方の面でも学びになっています。


回によって印象に残るメッセージは違うのですが

今回はお話をヒントにしながら

「価値観は人それぞれ」

という言葉の意味や使われ方について

少し整理したくなりました。


個人の好きや嫌いといった好み

どんな楽しみを追いかけたいか

そういった感情を中心にした生き方では確かに

価値観は人それぞれで、

ひとりひとりの人生観を知るのは

私の楽しみでもあるのだけれど


人間として大事な

普遍的な価値というものもあって

それを忘れて

感情をベースにした価値観を優先してしまうと

途端に社会は成り立たなくなってしまう。


自ら与えることで人の役にたつという価値

相手のしてほしいことをして

相手がしてほしくないことはしない


例えば

嘘をつかない、これは現代の情報社会ならば、

正しい情報なのか確かめてから伝える

ものを大切にする

独り占めしないで分け合う

困っている人がいたら声をかける

自分にできることで貢献する

など


そういった人間としての価値、普遍的な価値のことを

インドをはじめ、ヴェーダの文化ではダルマ(Dharma)

と呼ばれ大事にされています。

#全員がそうかというと違うかもしれませんが😅


日本でいう徳に近い概念ですね。

お天道様はみている、がより身近な表現でしょうか。


ひろのぶさんが行かれているバングラディッシュでは

当然のようにみんなで分け合い

物資が少ない中でも自分より相手を優先し

かといって全く卑屈にならず

むしろ満面の笑顔の子供たち

そんな様子を見ると近しい文化なのかなと思いました。


ダルマに生きること、徳を積む生き方は

人間にとってとても喜ばしいことだと思うのですが


それも個人の価値観によって違うのだと

捉える人が増えたらどうなるでしょう?


みんな自分の好きなことのためなら

嘘をついて

正しいかどうかもわからない情報を流して

ものは大切にせず使い捨て

なんでも独り占めして余ったら廃棄

困っている人がいても誰も声をかけない

せっかくの自分の能力を社会に役立てない。


こうしたことが現実に起きていると

お話会では事例と共に紹介されます。


複雑化する社会の中で

ダルマを選択をするのは

初めは難しいかもしれないけれど


人間として大事な価値を

個人の価値観を超えてみんなで大事にすることは

巡り巡って自分たちのため


よくよく周りを見回してみると

個人の価値観と人間としての価値が

自然と一致している人々もいて

暖かいコミュニティがあり社会が成り立っている。


そういう環境を与えられていることに

本当に感謝だなと思いました☺️