平和はわたしたちの中にある☆カンタ!ティモール

ティモールをご存知ですか?


東南アジアに位置し

国としては東ティモール民主共和国として

2002年に独立。


私はほとんど何も知らず

ドキュメンタリー映画

「カンタ!ティモール」を観て

この世界で起きていたことに衝撃を受けました。


歴史の中である国が独立した事実は

教科書にはわずかしか載らないかもしれない。


けれど、その一コマの中に

たくさんの大切なことが詰まっていました。


ティモールの人々は

自分たちの大地に生きることを選び


例えどんな状況であっても


大地への感謝を忘れず

平和を信じ続けている。



映画の主人公となるギターを持った青年。


一度聴くとそのメロディーが

頭から離れなくなってしまうのですが


その言葉の意味を知りたくて、

当時23歳だった広田奈津子監督が青年に尋ねたら


歌の詞は哲学だから、教えられないと

はぐらかされたそう。


当時は母国語で歌うだけでも

処刑の対象になるという状況。


青年は代わりに、村を案内し

そこで出会う人々の言葉から

この大地で生き抜いてきた様子が描かれます。



特に印象的だったのが

「僕らのあやまちを 大地は知っているよ」

という詞。


私たちと、あなたたちの境界が曖昧で

どちらも「イタ」と呼ぶのだそう。


どれだけ敵軍に酷い仕打ちをされても

「彼らの過ち」という表現はなく

「私たちの過ち」となってしまう。


現地語には「敵」という言葉がなく

強いて言うならば

「今は別の方向を向いている誰か」


相手は自分を映し出す鏡、だけれど

極限状態でそう捉えられるって

すごいことですよね。



他にも印象的なところは山ほどあり

例えば怒りについて。


3人に1人が亡くなるという悲惨な状況で

誰もが大切な人を失った経験がある村の人々


そんな中で、悲しみはあっても

怒りではないんだとキッパリ。


軍事侵攻を続けるインドネシア兵士を捕らえたなら

なぜティモールの人たちが戦うのかを説明して

無傷で返してしまう。


そうしたことのヒントが

監督がお話して下さっている動画にありました。


ティモールの人が大切にしているワニが

(ワニは神の現れで、おばあちゃんと呼んで親しんでいる)

インドネシア軍の小遣い稼ぎ用に持って行かれ

そのことについて怒らなかったのかと聞くと


どうして怒るのか

人は人を裁くことはできない

裁きは神(ルリックと呼ばれる)のすべきことで

人間の仕事は祈ることだ


と返ってきたそうです。


よく考えると日本にも

似たようなところがある気がしました。


自業自得、因果応報など、

悪いことをしたら、困るのは自分だよとか


悪いことだけでなく

良いことがあれば、日頃の行いがいいからだねとか。


日本ではありがたいことに、私も含めて多くの人が

平和な日常の中でこれを体験していますが


ティモールでは人の生死を超えたスケールで

その秩序を見ているようでした。




現地では想像を絶する過酷な状況が24年間も続き

2002年5月20日に

ようやく独立を成し遂げました。


独立について少しだけ触れると

ティモールは16世紀頃から1974年まで

ポルトガルの植民地とされ

アジア太平洋戦争中の1942年から3年半は

日本軍がティモール島を侵略、支配していました。


つまり、ポルトガルから独立過程にあったところを

インドネシアの軍事侵攻によって阻まれていた。

もし「ティモールがインドネシアから独立した」

という報道があれば、それは誤りです。


日本では詳細がほとんど報道されなかった上に

実は日本からインドネシアに対して

ODA(政府開発援助)という形で

支援をし続けていました。


多くの国々が非難し、経済制裁を決める中、

日本の態度がインドネシアを強気にさせたことは

容易に想像がつきます。



だから当時の偉い人たちが悪いというのではなくて

人の命や平和な暮らしよりも優先されたものとは

一体何だったのか?それを知りたい。


日本から来ている監督がティモールで

「日本に何ができますか」と聞くと


人々は謝罪や援助を求めるのではなく

「あなたの仕事をしてください」

「あなたの地域が良くなれば、世界に平和が訪れる」

と口を揃えて言います。


国や地域が分かれていても世界は一つ。

私たち一人ひとりが何を選び、どう行動するかが

巡り巡って、こうした出来事に繋がっている。


モノは溢れているのに満たされない何か。

その欠乏感に支えられている様々なビジネス。

手段であるはずのお金が目的となり

それが人の命より優先されていても

止められない社会の仕組み。


その犠牲者をこれ以上出さないために

外側に求めるのではなく自分自身に満足して

目の前の仕事に取り組み

今いる場所を良くしていくこと。

それが平和そのものだと改めて感じました。



対話を大切にしてほしいという監督の思いから

この映画は2012年の公開からずっと

自主上映で広がっていてるそうです。


今回は長谷川エレナさん主催の上映会で

皆さんで様々な思いを共有し合い

ひとりで観たらきっと悶々としてしまうので

このような形でとても良かったです。

ありがとうございました :)



参考